今週のPICArt -リアリティ-

 

ボンジュー、PICAです。

ずっと旅をしているような浮遊感とともに一週間が終わりました。

 

 

 

週の前半は和歌山の祖母の家で過ごし、豊かな自然の中でゆったりとした時間を満喫しました。

後半はなにかと慌ただしく過ぎていき、なんだか実体のないまま日々が過ぎてゆきます。

 

 

一日前のことですら、もうほとんど遠い過去のように感じてしまう日常の中で、確かに残っているのはその時感じた強い感情のみです。

ほかの些細なことはすべて忘れてしまいます。

 

 

 

 

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「If I was a flower, I can give the sweets for your eyes,nose,mouth and fingers...But I don't have any sweet words that satisfy you._170516」

 

 

 

もしも私が花だったら、あなたの目も鼻も口も指も楽しませてあげられるのに。

ももしそうだとしたら、私にはあなたを喜ばせられるような甘い言葉は使うことはできない。

 

 

 

花を愛する人が好きです。

美しい花になって愛しい人に会いに行きたいと思いました。

でも私が知る限り、花は話すことができないみたい。それもちょっと寂しいな。

 

 

ならばせめて、愛の表現を知らない私のために花に教えを請いたいと思いました。

 

花が音を発するとしたら、もしくはその色や形を音に変換するとしたら、どのように聴こえるのかな。

 

ということで、花が唄うのを聴いている絵です。

 

 

 

 

 

 

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「flowing_170516」

 

 

心が混ざり合った瞬間の記憶。

 

 

 

 

この絵と上の絵を描いていたら祖母が見にきて

「きれいななぁ〜」と眺めてくれました。

 

 

祖母も花が好きです。いつも祖母の畑や庭には色とりどりの花が咲き乱れています。

愛情深く朗らかに人を楽しませる祖母もまた、花のようです。

 

 

 

 

 

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「flowing_170516」

 

 

 

二人の人物が描きたかった。恋人ではなく、双子のような感じですね。

 

 

 

 

 

 

金曜日に日暮里のギャラリーで行われるアート交流会を控えていたため、それに向けて何か大きいサイズの作品を描きたいなと思い、画材を買いに行きました。

戻ってきて描こうとしたけれど、何を描いたらよいのか分からなくなりました。

 

 

いつも人間の顔しか描かない私が、人間の顔を描こうとすると気持ちが悪くて描けなくなりました。

 

なんでだろう?理由はわかってる。

 

 

 

見え透いた嘘、どろどろの私利私欲と権益や権威性への執着、想像力の欠如、彼らは人の心を持っているのだろうか。と感じたからだ。

 

 

 

めちゃくちゃな状況の中で、私は何を表現すればよいのだろう?

もしかしたら、自由に表現することが抑圧される社会になるのかもしれない。

抑圧はいずれは表現というアウトプットだけではなく心の持ち方まで変えてしまうかもしれない。

 

 

そう思うと手が動かず、相当な時間、真っ白な紙に向かって描いたり消したりを繰り返していました。

 

 

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「flowing_170518」

 

 

無理やりに描いてみたけれど。

 

 

 

…人間の絵を描くのは断念して抽象画に移行。何かを残しておこうと考えました。

 

 

 

 

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「flowing_170518」

 

 

 

Instagramにアップしたところ、「横になっている頭みたいに見える」というコメントをつけてくれた方がいました。(私の英語解釈が正しければ…)

 

 

 

自分ではまったく意識していませんでしたが、言われてみると、そうとしか見えなくなった。

 

左の黒い部分が髪の毛、右半分には閉じた目と口。

 

 

人間の顔を描いているつもりじゃなくても、人間の顔が現れてしまうという。

私は自分で意識できうる意思以外のところでも、人間の顔を描くことをテーマとしているのかなと、ぼんやり感じたのでした。

 

 

 

 

 

その翌日のアート交流会では少し前の作品を展示させてもらい、簡単に紹介させてもらいました。そして、たくさんの表現者の先輩が居合わせたので、質問しました。

 

「今のめちゃくちゃな状況で、どのような心持ちですか?」

 

何をすべきか、どうあるべきか、どう感じているか、いろいろな意見を聞いてみたかった。楽しい席で、政治の話題を出すことは少し怖かったけれど。

 

 

 

私よりずっと表現歴も長く深い方々の言葉は、それぞれに心に残るものでした。

 

そのままその人の佇まいや表情に表れているから、嘘のないのが分かる。

なんだかそれだけで救われた気がしました。

 

 

 

今後どのような社会になったとしても、この人たちは表現し続けるし、意思を持ち続けるし、それは法律やなんかで動かせるものでは決してない。

 

 

しなやかにただ在るように表現し続けるその人たちのイメージが浮かびました。

軽やかに舞う感じがする。

 

質問してみてよかった。意見を聞く、交わすことから始まるものがある。

 

 

また、舞踊家の金さんが私に対してこう言ってくれました。

「絵を描けなかったというのもひとつのリアリティ」

 

 

そっか。私たちが表現するという行為は、リアリティ、今を形にするということなのだ。

自分というフィルターを通して。アーティストとして名を残す人はみんなそうだった。

 

 

リアリティ。深く心に突き刺さりました。

 

 

 

 

 

最後に、素敵な文章を見つけたので引用します。

 

音楽でも映画でも小説でも漫画でも絵画でも演劇でも詩歌でも漫才でも、ありとあらゆる文化や芸術は、人々の相互理解と連帯を促すものだ。

「声高に主張しても、違う考えを持っている人の心を開くことはできませんから。跳ね返ってくるだけで。固く閉じている心を開くのは、アートや音楽、映画や物語の強さだと思います。だから、こういうときこそ、より必要だと思います」

http://lite-ra.com/i/2017/05/post-3168-entry_4.html

 

 

本当にそう思う。アートは必要だ。

現に私もアートを通じてたくさんの人と繋がりをもつことができた。

アートによって喜びや豊かさを感じることができました。

 

 

 

無力ですが自分にできることをやっていきます。

 

おやすみなさい。素敵な夢を。

 

 

 

 

PICA

 

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